2021.07.10
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「現代マネジメント研究」第6回 若井あつこ氏 講義
2021年度 中部学院大学・シティカレッジ各務原・関 公開講座
第6回「現代社会におけるスポーツの使命とは」
岐阜県議会議員・中部学院大学空手道部監督
若井 あつこ 氏
7月10日(土)第2限、第6回の「現代マネジメント研究講演会」を開催しました。二十年に及ぶ歴史を持つこの講座は、短期大学部経営情報学科時代からの伝統ある授業の一つで、市民の皆様方のご要望にお応えして一般公開してきたものを、各務原キャンパス開設の平成18年度から経営学部とシティカレッジ各務原・シティカレッジ関との連携事業とし、さらに19年度からは全学対象の「中部学院大学公開講座」として実施しています。今回は学生約80名と市民の皆様約30名が拝聴しました。
講師をお願いしたのは、岐阜県議会議員で、本学の空手道部監督であられる若井敦子様です。氏は一昨年の岐阜県議会議員選挙で再選を果たされ、2期目の半ばに差しかかってご活躍中ですが、中部学院大学は申すまでもなく、最近は済美高校の空手道部の充実にもご尽力いただき、ともに岐阜県下では無敵の部に育てていただいています。
お忙しい中をお越しいただきましたが、最初から空手道着にて登場されました。会場の最前列には空手道部の学生諸君が十名余り陣取っていますが、古田学長のご挨拶とともに静まりかえり、ご講演は元気のよい互いの挨拶で始まりました。
この講座は昨年度、新型コロナ感染症対策のため中止となりましたが、若井さんは、コロナ禍により対面授業の良さやありがたさ、ひいてはスポーツ・文化・芸術だからこそできる役割の重要性を再認識したと強調されました。また同時に、コロナに打ち克つために奮闘しておられる関係者の皆さまへ力強いエールも送られました。
今回は激しい動きや大声を遠慮されるとのことでしたが、特別にお願いし、演武の一部を披露していただきました。世界選手権4連覇達成の実力者としてギネスにも認定されたチャンピオンの迫力に、聴講生は固唾をのんで見入りました。気合いも大変なもので、一同、目の前で第一人者の姿が見られることに感激ひとしおでした。
続いてスクリーンに「世界の女王 若井敦子 怒濤の4連覇」の文字が投影されました。2004(平成16)年のメキシコ・モンテレイでの世界空手道選手権の模様です。「スーパーリンペイ」を演技して世界選手権4連覇達成の瞬間を拝見すると、勝つために闘った若井さんの姿と、敗者リリアン・シュクドラレック選手に対する深い思いやりのこもった礼を交わす若井さんの姿、この二つのお姿に、真の勝負士としての若井さんを読み取ることができました。
氏は以前から「本当の強さとは何か」「空手道の完成とは何か」を求め続けてこられました。モンテレイは、無敵の若井選手がたどり着いた、一つの結論だったのではないでしょうか。氏は日頃から「100人がエントリーした試合で、負けないのはたったの1人だけ。しかも、その一人だけの勝者だって永久に勝ち続けることはできない。」とおっしゃっていました。
勝たねば意味がないという時代もあったでしょうが、一段と大きくなられて、真の王者として君臨されるに至ったいま、改めて、二つの出来事を忘れることができないと教えていただきました。
一つは、4歳のときにバイクに跳ね飛ばされて頭蓋骨・脊椎などを損傷。4か月に及ぶ長い入院生活と後遺症に悩まされ続けた試練です。6歳で始めた空手道でしたが、小学校1年生から大学まで負けが続き、社会人になってからも涙をこらえて黙々と稽古に励む毎日が続きました。そんな中でも、どこかに「日の丸」「JAPAN」のエンブレム、つまり「日本代表」という大きな夢を持ち続けていた、その苦闘の日々が大きな試練だったとおっしゃいます。
もう一つも、氏の大きな試練だったといえるでしょう。それは全日本選手権7連覇、世界空手道選手権も3連覇という絶頂期に訪れました。2003(平成15)年の第58回静岡国体において、無名の新人に初戦で敗退してしまったことです。このとき起こった会場のどよめき、それまで築き上げてきたありとあらゆるものが壊れてしまったといえます。この屈辱の体験の中で、「若井、今泣いちゃだめだ、がんばりなさい」とだけ励ましてくれたライバル選手のコーチの声。声をあげて泣きながら、「何かに気づき、行動に移したときが適齢期」、「限界なんて、自分が作ったもの。どんどん越えていける」と考え、たどり着いたのは、「勝つだけでいいのか、いかに生きるかが大切ではないか」という精神面での成長でした。
若井さんの王者としての歴史の始まりは静岡国体よりも8年前の1995(平成7)年のナショナルチーム選考会に始まります。ある日本代表選手の「若井!ナショナルチームに入りたいと思わない?」の一言で胸に日の丸を付けることの意味を諭された氏は、それまでの「ナショナルチームに入るという夢」を「世界チャンピオンになるという目標」に変え、練習の鬼に変わり、3か月後、豊富な練習量に支えられた絶対の自信をもってナショナルチーム入りを叶えました。1997年には全日本選手権初優勝し、以後7年間は日本選手権連続優勝(97~04の8連覇)、世界選手権4連覇(98・00・02・04)ですから、静岡国体の敗戦をさらにバネにされたことがわかります。
敗戦から何かを生み出す、他者の痛みを知ってこそ他人に優しくなれることを知った若井さんの翌年(04)の全日本と世界選手権制覇は、その意味でより輝きを持つのです。世界選手権4連覇全日本8連覇の仕上げは、こうした悟りから生み出されたと言っても過言ではないと思いました。
「経験は力になって優しさに変わる。優しさや思いやりは大切なものを守る力に変わる」艱難辛苦を乗り越え、さらに新しい生き方を求め続ける若井さんに最もふさわしいことばでしょう。
2012(平成24)年、国民体育大会が「清流国体」として岐阜県を中心に開かれることとなり、氏は天皇杯・皇后杯の獲得のための得点源を期待されて第一歩から空手のチーム作りを任されました。結果として空手競技での団体優勝を達成されたことは、個人としてではなく、団体を創り率いるという新しい一面を開拓されたということができるでしょう。中部学院大学、済美高校の全国制覇が近づいていると感じました。
苦労のすべてを乗り越えて、最後には次々と目標を達成されるご努力の連続に、会場は静まりかえったままでした。「人間としての成長を願う空手道の完成」こそ、若井神話・不敗神話を生んだ無敵の若井選手がたどり着いた、空手道の真の頂上だったということでしょう。
ご講演の中で述べられた山岡鉄舟(註:江戸~明治の政治家・剣士・禅師)の「晴れて良し 曇りても良し 富士の山 もとの姿は 変わらざりけり」が印象的でした。
最後に片桐学長が、心を打つことばと話しぶりに感涙したことをお礼のことばに代えてお開きとしました。
(文責:今井春昭 写真:林賢一、野口晃一郎)