2024年度高校生体験記エッセイ「私とじもと(地元)のつながり」入選者について

 2024年度中部学院大学人間福祉学部が高校生を対象に募集をした体験記エッセイの受賞者をお知らせします。

2024年度のテーマ「私とじもと(地元)のつながり」には123編の応募をいただきました。
ご応募下さった皆さん、ありがとうございました。
どの作品も様々なじもと(地元)とのつながりを踏まえた皆さんの気づきや優しい気持ちが伝わるとても良い作品でした。
その中から入賞作品13編を選定いたしました。

  • 募集テーマ:「私とじもと(地元)のつながり」
  • 募集要件:200~500文字
  • 応募期間:2024年7月1日~9月30日(月)
  • 応募総数:123編
  • 受賞者13名

入選者一覧

 氏名(敬称略)  学校名  学年
 岡 月穂  島根県立松江農林高等学校  3年生
 鴛崎 秋華  島根県立松江農林高等学校  3年生
 澤田 真衣  島根県立松江農林高等学校  3年生
 杉谷 日菜子  島根県立松江農林高等学校  3年生
 勝部 美緒  島根県立松江農林高等学校  2年生
 山根 紗季  島根県立松江農林高等学校  2年生
 安達 義徳  岐阜県立岐阜各務野高等学校  3年生
 梅村 唯愛  岐阜県立岐阜各務野高等学校  3年生 
 渡辺 永愛  岐阜県立岐阜各務野高等学校  3年生 
 池戸 彩夢  岐阜県立岐阜各務野高等学校  2年生 
 市瀬 悠月  岐阜県立岐阜各務野高等学校  2年生 
 本村 優衣  岐阜県立岐阜各務野高等学校  2年生 
 加藤 小雪  岐阜県立岐阜各務野高等学校  1年生 

入選作品

岡 月穂 さん

 近所のおじいちゃんとおばあちゃんは、小さい頃から私のことを孫のように可愛がってくれた。すれ違ったときは毎回「元気?」と声をかけてくれるし、私の誕生日の時は手作りのパウンドケーキを持ってきてくれた。愛情がたっぷりと入ったそのパウンドケーキはとても美味しく、最高の誕生日を迎えられたことを今でも鮮明に覚えている。しかし高校生になった今、地域の行事に参加することもなくなってしまい、まったく会えていなく、挨拶すらできていない。そんな現状がこれからも続いてしまえば、いつかすごく後悔する日が来ると思う。そうならないために、これから地域のイベントにもっと参加し、お世話になったおじいちゃん、おばあちゃんに直接会って感謝の言葉を伝えようと思う。今度は私がケーキを作り、渡しに行こう。「あなた方のおかげでこの町が大好きになったよ」と感謝の気持ちを込めて。

鴛崎 秋華 さん

 「今年は担ぐ側かいね。立派なもんだ。」毎年開催の近所の神社を中心とした秋祭り。お神輿を担ぎながら近所の家や会社を回って獅子舞を踊ったりお菓子を配ったりするイベント。私は小さいときはお菓子をもらいにお神輿の後をつけて回ってた。パパはお酒を飲みながらお神輿を担ぐ側。「あんたも大きくなったら担ぐんよ」同じ団地のおばあさんが毎年言ってくる言葉。正直めんどくさかった。お菓子だけもらって獅子舞見て帰りたかった。実際、大きくなったら行かなくなった。お菓子ももういらないし。獅子舞も毎年同じだし。飽きちゃった。コロナもあって参加する人も減ったみたい。私は高校1年生になった。たまたま外に出たときにおばあさんと出会った。お神輿を担げるのは高校生以上。「今年は担ぐ側かいね。立派なもんだ。」言われてしまった。その言葉に負い目を感じて久々に参加することにした。担ぐ側として。大人たちはみんな歓迎ムード。おばあさんは我が物顔。悪くないと思った。「また来年も担ぎに来ようか。」

澤田 真衣 さん

 私の家の隣にはコンビニがあります。コンビニが少ない地域なため、お客さんは多いです。そのため、コンビニの周囲にはたばこや爪楊枝、お菓子の袋などがポイ捨てされてゴミが散乱しているのをよく見かけます。我慢できなくなった私は、ゴミ拾いを始めました。毎日少しずつゴミを拾っていると、そのうち近所に住んでいるおじいさんも一緒に手伝ってくれるようになりました。私がおじいさんに、どうして手伝ってくれるのか質問してみると、「私も前から気になっていたが、中々やる勇気を持てなかった。あなたがゴミ拾いをしている姿を見て行動できた。ありがとう。」と感謝の言葉をもらいました。

私は今まで自分から進んで行動することは苦手で、おじいさんのように中々行動する勇気が持てずにいました。ですが、自分が思い切って行動することで周りの人にも影響を与えることが出来るということを知ることができました。この活動のように、色々なことを自らが進んで行い、将来は地域に貢献できるような人間になりたいと思いました。

杉谷 日菜子 さん

 私は、玉湯町に住んでいる。玉湯町は温泉で有名だ。長期の休みや三連休、休日は観光客で町が賑わう。私は、学校まで電車で通っている。そんな帰りの電車はキャリーケースを持った沢山の観光客が玉造温泉駅で降りる。金曜日の電車は特に観光客が多い。ホームを出ると、旅館の車がお迎えに来ていて、夕方の玉造温泉駅は賑やかだ。そんな賑やかな雰囲気の駅から私の家はとても近い。バス停も近い。家に帰るまでの道でよく観光客の方と会う。観光客の方と会うと、道を聞かれることがよくある。その時は、国内の方だけでなく、外国から来られた方に道を尋ねられることも何度かあった。その時は日本語を使って話される方もおられるが、英語で尋ねられる方の方が多い。外国の方と話している時間が私は大好きだ。道の図を書いて、スマホの翻訳機能を使って話す。伝わったときの外国の方の反応はとても嬉しそうだ。そんな姿を見て嬉しくなる。案内すると、全員「ありがとう」「いい街だね」と言って下さる。観光客の方も私の気持ちも嬉しくなれる瞬間だ。そんな瞬間が私は大好きだ。観光地に住んでいるからこそ感じられることだと私は思う。

 

勝部 美緒 さん

 私の住んでいるところは挨拶が自慢の地域だ。
朝早くに登校しているときでも「おはようございます」と言うと、「おはよう!」と、明るく返ってくる。朝、学校に行きたくないと思っていても、この2秒くらいの声掛けで気持ちが少し明るくなる。
また、私の地域では昼も暑い中畑仕事をしておられる方や、夕方頃も畑に出ておられる方が多くいる。これもまた話している時間は短いのだが、今日も頑張った。残りの道も頑張ろうと思えるのだ。
私はこの明るい挨拶が自慢の地域をこれからも守っていくため、私も地域の挨拶を見習って、明るく「おはようございます」「こんにちは」を言っていきたい。

山根 紗季 さん

 私は正直、「地元」というものにあまりピンときていませんでした。しかし、我が家に自治会役員の順番が回ってきたときのことです。父が紙を渡しに〇〇さんの家にいかないといけないと自治会の地図を広げて唸っていました。そこは住宅地だったため車移動がほとんどな父には少し厳しいところでしたが、私にとっては登下校などでよく通る知ったところでした。だから、ここを通るんだよとか、ここの家には小人の置物がいるからそれが目印だよなど父に教えていました。すると母が、「さすが地元の子だね」と言い、私はハッとしました。地元ってこういうことなんだ…と初めて感じました。私にとってこれが「地元とのつながり」をおしえてくれた出来事です。

安達 義徳 さん

 私が小学生の時、地元の子供会の神輿担ぎに参加していた。このころの私はあまり社交的ではなく、家族以外との交流が得意ではなかった。親の勧めもあって地域の活動に参加することとなったけど、実際のところ私は参加したくなくてみんなで神輿を作るときにも参加せず1人で遊んでいた。知らない人がたくさんいたから怖かったんだと思う。だけど、昔から交流のあった与作おじいさんに「これ作ってみぃ」といわれ装飾のボンボンを作り始めた。でも作り方がわからないし困ってしまった。そしたら、いろんな人が丁寧に教えてくれてなんとか1つ作ることができた。不細工な出来栄えだったけれど、胸の中に1つの達成感があった。そして、地域の人の温かさがとても嬉しかった。その後、完成した神輿をみんなで担いで地域の人の家を訪問する「神輿巡り」にも参加して、地域のつながりを強く感じました。それからは、私があの日教えてもらったように、今度は私が教える番として活動に参加しました。これからも、こういったつながりが切れないように自分たちが繋いでいきたいです。

梅村 唯愛 さん

 私にとって地元は、心の支えです。何かに挑戦する度に背中を押してくれる、そんな場所です。私は中学を卒業し、高校生活は地元を離れ、夢に向かって挑戦することを決めました。高校生活は辛いことも多かったです。夢を叶えるために地元を離れたのにも関わらず、弱気になっていた時期もありました。その度に自然にあふれる温かい地元に帰り、今でも元気をもらっています。辛いことがあった時、帰る温かい場所があることで頑張ることが出来ています。いつでも笑顔で名前を呼んで挨拶してくれる方たちや、ずっと変わらず仲良くしてくれる友達、どんな時も話を聞いて笑顔にしてくれる人、一番近くで支えてくれる家族、全ての人に感謝しています。そんな温かい人達に恩返しができるように、夢を叶え、地元に戻り、次は私がたくさんの人達の笑顔を増やしていきたいと思います。

渡辺 永愛 さん

 私の地域には「見守り隊」の方々が活動されています。グループとなって通学をしている子ども達を見守る、黄色いはっぴが目印のお年寄りの方々です。私が小学生の時もそのおじいちゃん、おばあちゃんが身の安全を見守ってくれていました。その中で特に印象深いおじいちゃんがいました。その方は特に下校の際に見かける人だったなと思います。敬礼のように手を動かし、「よっ‼」ととても大きな明るい挨拶が、どの大人の挨拶よりも元気が出て、「ああ、帰ってきたんやな」という感じがして、不思議なパワーがあるなと当時思っていました。そのおじいちゃんはそれだけじゃなかったんです。その道を通って帰る小学生の子ども達の名前を覚えていて、名前を呼びながら「お帰りい‼」と挨拶していたんです。近所に住む子の名前は大体覚えているみたいで、私も覚えてくださっていたみたいでした。眠そうに帰ってきた時も、暗い顔して帰ってきた時も「おお!?大丈夫か?元気ねえな」と心配してくれた優しくて豪快な雰囲気のおじいちゃん。今も近所を歩いているとたまにすれ違うことがありますが、あの時と変わらない笑顔と豪快さが健在です。長生きしてほしいな。

池戸 彩夢 さん

 私の母が近くのゴミ捨て場の担当者になっていた時、近くのおばあちゃんやおじいちゃんの家に行っていました。それは、足腰などが悪く、ゴミ捨て場までゴミを置きにいけない方のために代わりにゴミを運ぶボランティアをしていました。色んな家を訪ねて、ゴミを取りに行くと、どこの家の方も「ありがとう」と言ってくださいます。私はその言葉がとても嬉しく感じました。少しでも良いことをするとお互いの心が温かくなることを感じた瞬間でした。そして、その活動の中で楽しかったことがありました。それは、地域の方とたくさんお話ができることです。地域の方とふれあうことのできる時がとても少ないので、すごく楽しかったです。今は高校生になり、地域の方とお話ができる時がほとんどなくなってしまったので、地域の方にお会いした際、お話をして少しでも地元とのつながりを大切にしたいです。

市瀬 悠月 さん

 私が中学生の頃、学校で「フラワーエンジェル」という、一人暮らしの高齢者宅に訪問し、花や手紙を届け、その場で会話をすることで見守る活動を行っていました。ある高齢者のお宅に伺った時のことです。何と声をかけるかを頭の中復唱し、緊張しつつインターホンを押しました。すると、朗らかな笑顔をした女性が扉を開けました。優しい対応をしてくださったおかげで、最初は堅い話し方になってしまいましたが、話をしているうちに心がほぐれ、楽しいひと時となりました。その女性も楽しかったことと思います。見守るというのが目的の活動だと思っていましたが、それだけではなく、自分も地元に見守られていることを感じました。これからも地元に感謝し、支えあって生活していきたいです。

本村 優衣 さん

私の地元では月に一度朝早くに集まって町の清掃活動を行っていました。私は朝早く起きるのが苦手なためあまりいい気分ではありませんでした。しかし、町内の方は熱心に活動していて私はどうしてそんなに頑張れるのか疑問に感じました。
そこで私は近所の方に聞いてみました。すると近所の方は笑顔で「私はこの町が好きだからねいつまでもこの景色が続いてほしいからだよ」と教えてくださいました。近所の方が言うように私の地元は自然が豊かで四季折々の景色がとても幻想的に見える場所でした。
こんな素敵な景観が続いているのは地元の方々の温かい想いによって保ち続けられているのだと気づきました。それから私は今でも地元の清掃活動に参加しています。
大人になり、いつかこの町を離れてもずっと変わらず温かみのある綺麗な街であり続けることを願ってこれからも清掃活動を続けたいです。
 

 

加藤 小雪 さん

 私が小学校入学したタイミングで私のおじいちゃんも地域の見守り隊をやり始めてくれました。病気で体調を崩しやすい私は学校を早退したり欠席することも少なくありませんでした。そんな私が落ち込んでいたり辛そうにしていると、おじいちゃんはもちろん他の見守り隊の方も元気ずけてくれたり相談に乗ってくれてり。体調が悪そうにすると車に乗せて行ってくれたりお母さんに電話してくれたり。何も言ってなくてもすごく動いてくださって助かったことが何回もありました。体調が悪くない時も、「体調最近どう?」とたくさんの人が聞いてくださってとても温かいと思いました。

小学生の時に限らず小学校を卒業した中学生の時や今でも見かけたときにたくさん話しかけてくださることも多く、いつも元気をもらっています。私はそんな地域で感謝しているし、良かったと思っています

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